松本空港とYS-11

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自己紹介します!

自己紹介します。
あともう少しで定年を迎える,奥穂高です。

でも,なんか名前で書くのは変なので,これからは,私とか,僕は,という一人称で,このブログを書く事にしますね。

私は,生まれも育ちも松本市で,松本市大好き人間です。
物心ついた時には既に松本空港があり,セスナ機が空を飛んでいました。
私は,松本の田舎に住んでいたのですが,実は自分の家の上をセスナ機が飛んでいたり,近くに松本空港があることが,ほんの少し誇らしく感じていました。

 

松本空港

だって,そうでしょう?隣の諏訪湖のある諏訪盆地は,諏訪湖がありますが,飛行場はありません。(子供の頃連れて行ってもらった霧ヶ峰には,グライダー場があり,グライダーが飛んでいましたが)

お花見に何度も連れて行ってもらった高遠の桜がある伊那谷も広々とした大きな谷あいですが,飛行場はありません。

小学校の時に県庁見学で行った長野の善行寺盆地も善光寺はありますが,飛行場はありません。

北向き観音や真田城で有名な,上田も飛行場はありません。

遠く,浅間山を望む佐久平は広大ではありますが,飛行場はありません。

という訳で,飛行場がある松本を小さい頃から誇らしく思っていました。

 

YS-11現る

そこに,セスナ機に加えて,いつしかYS-11がやって来るようになりました。
家の上をYS-11が低空飛行で旋回して行き,そして松本空港に着陸して行く光景を遠くにいつも見ていた気がします。
そのYS-11は,いつもお昼頃やってきたと思います。
YS-11の写真は色々見つければ出てくると思うので,是非見て欲しいと思います。
でも,私にとってのYS-11の記憶は,銀色の飛行機のお腹の姿であり,
なにより,「ゴーーーー,」という音がどんどんと大きくなり,
家の上になるとその音が,軽やかに変化していく,当にあの音が,私にとってのYS-11でした。

これって,凄くない?って思いませんか?
こんな田舎に,都会から定期的に飛行機が来ているんですよ?

当時私の家は,りんご農家でしたので,休日は私も両親の手伝いでリンゴ園で作業をすることが大かったです。
花の咲くころは,りんごの不要な花を落とす作業,そして初夏にかけては,沢山の花がみな実をつけるので,中心の大きな実だけを残す摘果作業,秋になるとりんごの色づきを良くするためにりんごの周りの葉を摘みとる作業,さらにりんごの色づきを良くするための,りんご回し作業,そして収穫作業。
そんな四季折々の作業の最中,YS-11はお昼頃やってきました。
その度に,青空を眺め,YS-11の腹を眺めていたと思います。

でも,当時の一番の疑問は,YS-11は何故大阪からくるのかな?
という疑問でした。

私は,学生時代は関東で生活していました。親戚も関東系が多かったですし,一番近い都会は,やはり名古屋というよりは,東京でした。
中央東線で,松本始発,新宿終点。それが都会というイメージが強かったです。

大阪万博に行ったことが無い私にとって,大阪は本当に遠くというイメージで,しかも馴染みが無い。
何故,そんな大阪の人が松本に来るのかな?松本の人は大阪に行くのかな?という疑問を長らく持っていました。
そして,それは,もしかしたら今でも解決されていないのかもしれません。
そんな,大阪から毎日YS-11が来る。
それだけでも,神秘的でした。

ということで,今日はここまでにします。

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